道草雑記帖

「神楽坂 暮らす。」店主の備忘録/日々のこと/器のこと

足跡姫

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この間の火曜日は、野田秀樹さんの才能に惚れ込んでいるパートナーに誘われて、NODA・MAP第21回公演「足跡姫 時代錯誤冬幽霊(あしあとひめ・ときあやまってふゆのゆうれい)」へ。
NODA・MAPを観るのは「MIWA」以来、今回が二回めです。

誘われた時には、好きな演者が揃っていること(宮沢りえちゃん&妻夫木くん&古田新太さん&扇雀さん)だけを確認し、『はいはい、行きますよ〜』という若干軽い気持ちでチケットを取ってもらい、公演内容についてはまったく知らないままで池袋の芸術劇場へ行きました。
少し早めについたので、パンフレットを買い、『どれどれ、どんな内容じゃろか』と目を通し始めたら、これは観るべくして観る芝居だということがわかりました。野田さんが、盟友だった中村勘三郎さんに対するオマージュ作品として書き上げたものだったのです。

思えば6年ほど前に、ひょんなことから中村屋の兄弟(勘九郎さんと七之助さん)が出演した花形歌舞伎を観ることになり、それ以来僕はすっかり中村屋のファンに。父・勘三郎さんが始めたコクーン歌舞伎平成中村座のような実験的な芝居にも足を運んできました。
勘九郎さんの華やかな襲名披露の折には四列目に陣取り、緊張しながらも嬉しそうな勘三郎さんの口上に胸が熱くなったものです。あの公演で白井権八を演じた「鈴ヶ森」が、僕にとっては、勘三郎さんの最後の舞台になってしまいました。

話がNODA・MAPからちょっと離れてしまったけれど、野田さんは勘三郎さんと同い年で、誰もが知る盟友の仲。
伝統芸能としての歌舞伎を大事にしつつ、同時に肉体表現ならではの芝居本来の前衛性をも追い求めた勘三郎さんが、野田さんと意気投合するのは必然的なことだったんですよね。世代的な感覚も共有しているわけだし。
もう少し早く歌舞伎を観始めていたら、野田歌舞伎(研辰の討たれ・鼠小僧)も生で観ることができたのになあ、とちょっと残念な気がします。

「足跡姫」は、野田さんならではの計算し尽くされた言葉遊び&激しい肉体表現とともに、勘三郎さんが招き入れてくれた世界・歌舞伎の要素を全編に散りばめた芝居。
難解で一筋縄ではいかない展開だけれど、若衆歌舞伎以前の奔放な阿国歌舞伎を物語の軸にすることで、『本来の舞台芸術=前衛的で自由な肉体表現』というものを描き出そうと試みていました。こちらも頭で筋を追うのをやめて、体感するように心がけたら、案外すんなりとその世界の中に入り込むことができたような気がします。芝居に対する野田さんの想い(原点)のようなものが熱を持って伝わってくるとともに、その想いを共有していた無二の親友の早過ぎる死に対する悲しみも強く伝わってきましたね。
大切な人を失ったとき、その喪失感を受容し咀嚼してゆく方法は人それぞれ違うけれど、これが舞台人である野田さんのやり方なのだと思います。

一緒に観に行ったパートナー(歌舞伎は観ない)は、「面白かったけど、全体の25%くらいしか理解できていないかも」と言って口惜しがっていました。
確かに。ずっと野田作品を観続けてきたファンの方々には申し訳ないけれど、野田さんは今回、勘三郎さんへの想いを共有する人に対してこの芝居を書いてくれたような気がします。うれしかった。本当に。
演者の人たちもみんな素晴らしかったし、芝居というものの根源的な姿に触れたような気がしました。人の心に足跡を残す舞台だったなあ。
勘三郎さんがやりたかったことは、肉体が消えてしまっても、こうやって別のカタチで生き続けてゆくのですね。僕はこれからも、勘三郎さんの魂が宿る場所へと足を運んでゆきたいと思います。



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