道草雑記帖

「神楽坂 暮らす。」店主の備忘録/日々のこと/器のこと

血の物語

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今月の歌舞伎座公演(八月納涼歌舞伎)はどうしても見たい演目があったので、チケット発売日にしっかりと席を死守。楽日の前日に見に行ってきました。

お目当ては第一部、先ごろ亡くなられた十世坂東三津五郎さんに捧げられた『棒しばり』という舞踊です。狂言を元にした『松羽目もの』というジャンルの演目で、中村勘三郎さんの息子・勘九郎さん(太郎冠者)と三津五郎さんの息子・巳之助さん(次郎冠者)が出演しています。これまで若手の巳之助さんが本興行で大きな役を演じるところを見たことがなく、どんな感じになるのかまったく想像もつかなかったんですけどね。見てびっくり。とにかく、よかったんですよー。もう、『よかったっ!』という言葉しか出てこないくらい素晴らしい『棒しばり』でした。
太郎冠者役の勘九郎さんの愛嬌というのは、父譲り。ふわっと客の心を掴んでしまうのは中村屋の芸のなせる技で、見てるこちらの心はもはや勘九郎さんの掌の上。台詞回し、目配せ、その一挙手一投足に驚き、笑い、反応してしまいます。
まだ30代前半なのに、人間の心の奥にある喜怒哀楽のスイッチのありかを知ってるなんてすごいことじゃない?一般家庭に生まれた人が役者を目指して一生かかっても到達できない領域に、この若さで既に達してしまってるんですからね。体に流れている『血』というものの存在を意識せずにはいられない。この世には、本人の努力だけでは如何ともし難い強い力が存在するのだなあ、と思ってしまいます。
一方の巳之助さんも素晴らしかった。父・三津五郎さんは誰もが認める舞踊の天才だったけれど、負けていないのでは?まだ30歳にもなっていないのに、あの身のこなし。歌舞伎を見慣れた周りの席のおばさま方も、巳之助さんのこなれた体の動きに、文字通り息を呑んでるのがわかりました。40代50代になったら舞踊の名手と呼ばれるようになるかもしれない。
10代の頃には歌舞伎の世界をやめようと考えていた(『徹子の部屋』出演時の情報)とのことで、正直、大丈夫なのか?と思っていたのだけれど、そんなのはまったくの杞憂でした。こちらもやはり『血』なんですね。これから少しずつ大きな役が回ってくるようになると思いますが、頑張ってほしいなあ。
そしてこの演目にはもう一人、二人の冠者の主人・松兵衛という登場人物が。太郎冠者と次郎冠者のおかしみをさらに増幅させる重要な役なのですが、その松兵衛を、坂東彌十郎さんが演じていました。出番は最初と最後だけなのだけれど、すごい存在感。彌十郎さんって、これから左團次さん的なポジションになってゆくのかな。いるだけで芝居がしまるし、生き生きとしてくるんですよね。大きな体と大きな声でダイナミック。好きな役者さんです。

この『棒しばり』は狂言が元になっているだけあって、とにかく面白おかしい舞踊。終始笑いっぱなしだったのですが、見ているうちに、目頭が熱くなってきて、恥ずかしながら涙があふれてきてしまいましたよ。もう笑い泣き。
目の前にいるのは間違いなく巳之助さんと勘九郎さんなのに、ふたりの肉体の向こうに三津五郎さんと勘三郎さんの姿が透けて見えてくるんだもの。
僕は歌舞伎を見に行くようになってからまだ5年程のにわかファンですが、名優の名をほしいままにしたふたりの意志と血を継ぐ若いふたりの舞台を見ることができて、本当に幸せだなあ、と思いました。先代の舞台と見比べながらああだこうだと語らう愉しみ。ファン冥利につきますね。
芝居三昧で身上をつぶしちゃいけないから、もちろんお仕事も頑張りますけどね。それでも好きな役者さんが出る演目は、贅沢気分を味わいながら、これからも見に行きたいものだなあ、と。そう思っているところ。
やはり、歌舞伎座に行くと心が華やぐなあ。
血の物語はまだまだ続きます。


追記

本人の努力では如何ともし難い血の力がある、と書きましたが、それでも大事なのはやっぱり努力。矛盾するようですが。
どんなに血の力(アドバンテージ)があっても、努力もせずに果実を得ることはできないと思います。勘九郎さんも巳之助さんも、血を継ぎ、その血の力を超えるべく尋常ならざる努力をしているのではないかと勝手に想像しております。


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