道草雑記帖

「神楽坂 暮らす。」店主の備忘録/日々のこと/器のこと

杜の時間

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歴史好きな僕は、神社巡りも好き。でもこれまで、訪れるのは近代以前に創建された神社に限る(建築は近代になってからのものでもいいのだけれど)という『自分ルール』を持っていました。
ところが、年初にNHKBSプレミアムで放送していた「明治神宮 不思議の森」という番組を見てちょっと考えが変わり、『近代以前/近代以後』という自分の中にあった分類ルールは、明治神宮大正9年創建)に関しては除外すべきだと思うようになりました。
林学博士・本多静六による鎮守の杜の壮大な植林計画は瞠目すべきものであったし、さらに杜が育ってゆく過程に人智を超える大きな力の存在を感じたからです。

昨日は午後早い時間に渋谷に行く予定があったので、ちょっと早めに家を出て、午前中に明治神宮を参拝。
原宿駅側、表参道の鳥居をくぐり、左右に広がる深い杜をじっくりと観察しながらゆっくりと歩を進めてゆきます。自然の造形に見えるこの豊かな木々の群れが人工的に作られたものだなんて、ちょっと信じ難い事です。
明治神宮にはさほど縁がないと思い込んでいた僕ですが、実は、七五三のお詣りをしたのはココ(42年前)。けっこう深い縁があったわけです。本殿に進むと、まだ若かった父母に手を引かれて歩いた幼い日の記憶が昨日のことのように蘇ってきました。すっかり忘れていたけれど、神宮の杜はあの時もここで5歳の僕を見守ってくれていたんですね。
なんとも感慨深いことです。

明治というのは、日本が『坂の上の雲』を目指してなりふり構わずに駆け抜けた時代でした。江戸開府の祖・徳川家康は街の各所に聖域と結界を作ったけれど、明治という激動の時代が終わって一息ついたとき、東京という近代都市(および近代日本)にも新たなサンクチュアリが必要になったのだと思います。
それが明治神宮
野生の力と自然の特性を利用しながら鎮守の杜を作り上げた本多博士の深慮遠謀のおかげで、100年後のわれわれは、瑞々しい木々の恩恵にあずかることができている。人工の杜ではあるけれど、そこには生態系も存在するし、これはもはや「自然」と呼んでもよいのではないでしょうか。ありがたい遺産です。
2020年は東京オリンピックが開催されるのと同時に、明治神宮鎮座100年の年でもあります。世の中には変わり続けてゆくものと変わらないものがありますが、神宮の杜にはこれからの100年も静かにこの街を見守っていってほしいと思います。これは東京に生まれ育ち、そしてやがて死んでゆく日本人としてのささやかな願いでもあります。


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