道草雑記帖

「神楽坂 暮らす。」店主の備忘録/日々のこと/器のこと

緑の日々

f:id:kurasustore:20160503153652j:plain


僕は普段、大江戸線牛込神楽坂駅から住宅街の小径を抜けて、店に出勤しています。
その途中、新潮社社長のお屋敷の長い土塀が木々の新緑とともに独特の風情を醸し出していて、林の中の小径のごとく、緑の陰が行き交う人の目と心を和ませてくれます。酸素が濃いなあという印象。
生き馬の目を抜くような東京の都心近くにこんなに静かで落ち着いた住宅街があるなんて、ちょっとした奇跡かもしれませんね。

うちの店がある地区(先述の通勤路を含む)は『矢来町』という町名で、大老・酒井忠勝を輩出した若狭小浜藩(雅樂頭酒井家=うたのかみさかいけ)の大名屋敷跡。なんと、町全体がかつてはひとつの屋敷だったのですよ。町全体が!
神楽坂エリアは、下の方は細かい町割りの町人地(現・神楽坂1〜5丁目)でしたが、その上には寺町エリア(現・横寺町)があり、さらに上、坂のてっぺんの地盤が固い地域全体を酒井家が占有していたわけです。
そんな経緯があるからかどうかはわかりませんが、この矢来町には、江戸の流れをくむ近代東京文化の薫りがそこはかとなく漂っているような気がします。広大な大名屋敷跡に、新潮社ができ、能楽堂ができ、そしてかつては古今亭志ん朝さんも住んでいたわけで(志ん朝さんは『矢来町の旦那』という異称で呼ばれていた)、なんとも渋好みの町なのです。

最近はこの界隈について、『奥神楽坂』などという呼称で取り上げるメディアも増えています。 その影響で、古き良き文化の薫りに興味を持ってくれる方が増えてくれるのはとてもうれしいこと。でもその一方で、「『奥神楽坂』通」を自認する意識高い系の人々やサードウェーブ系の人々がにわかに増え出したことについては、ちょっとした戸惑いもあるのです。
これはご近所の店の方々との世間話でよく話題に上ることだけれど、我々のように日々ちいさな商いで身を立てている店にとって『奥神楽坂』という呼び方は、マーケティング臭が強過ぎるように感じます。なんというか、イメージ(ブランディング)ばかりが先行したネーミングに思えるんですよね。浮ついてる感じがして、痛し痒し。
とか言いつつ、ゴールデンウィーク中である今日も、ごった返す神楽坂通りから小径を入れば、矢来町の奥は本当に静か。新緑が目に鮮やかで、やはり歩いているとほっとしますね。このところ、ちょっと持て囃され過ぎなこの界隈ですが、これ以上過熱せずに、渋好みであった町の記憶が保たれてゆくといいなあ。(非常に虫のいい)そんな願いを胸に、僕は日々この町を歩いております。


追記

うちの店も紹介してもらった「アド街ック天国(2/27放送分)」では、この界隈について、地元の人間が使っている「神楽坂上(もしくは『坂上』)」という呼称を使っていました。あの番組が浮ついたところがないのは、そういう事前リサーチがしっかりしているからなのだなあ、と改めて感心しました。

 
神楽坂 暮らす。 オフィシャルページ http://www.room-j.jp

広告を非表示にする