道草雑記帖

「神楽坂 暮らす。」店主の備忘録/日々のこと/器のこと

五輪と意匠

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5年後の東京オリンピックについては、新国立競技場に次いで、エンブレムに関しても味噌が付いてしまいましたね。本当に残念な話。
エンブレム盗用問題についてはいろいろと擁護する人もいるけれど、普通に考えれば、これ、アウトでしょう。この件ひとつだったら偶然似ているということもあり得たけれど、これをデザインした佐野某なるデザイナー、次から次へと過去の盗用疑惑が出るわ出るわ。これまで気付かれてなかっただけで、常習犯だったのね。明らかに悪意あり。
何かから着想を得ること自体はあり得ることだけれど、トレースとかコピペは絶対ダメでしょ。今回のオリンピックのエンブレムについても、ネット上で画像を拾ってそのまま模倣したんじゃないかと思われても仕方ないレベル。それほど酷似してるよね。色を変えただけ。
でも、ものすごいお金が動いているんだろうから、すぐ認めるわけにはいかないんだろうな。本人も五輪組織委も。国際的に見れば恥ずべきことだけれど、とっとと仕切り直しした方が傷が浅く済むのでは。

加えて、現在のデザイン界の悪弊というものについても考えてしまいますね。
今時のグラフィックデザインって、コンペを通すためのプレゼンテーション(=コンセプトやら小理屈やらを語る『儀式』)ばかりが重視されていて、肝心の美意識に対する評価みたいなものがどこかにいっちゃってるような気がするんですよ。特にこれは大会のシンボルですからね。「ひと目で見て腑に落ちる」美しいデザインでなければいけないはずなのに、こねくり回されたコンセプトを聞かないと何の意匠か分からないなんて、本末転倒でしょう。
今回も、デザインが評価されたというよりは、佐野某によるプレゼンが評価されたんじゃないかな。だから、本来いちばん重要な『作品自体のオリジナリティーに対する審査』(盗用であるかどうかも含めて)については、意外にもスル―されちゃってたんじゃないのかなあ。あくまで勝手な憶測ですが。
51年前の東京オリンピック亀倉雄策による完璧なデザインの再現は無理にしても、ああだこうだとゴタクを並べるような多弁なデザインではなく、寡黙でもいいから理屈を超えて心に訴えかけるデザインのものを選んでほしかった。

あと今更だけれど、建設が白紙に戻った新国立競技場の問題。
もともとあれは、デザインとして醜悪だと思った。僕は生粋の東京っ子だけれど、わが街にあんな奇を衒ったものが建てられるなんてすごく嫌だったんだよね。東京は職と住が複雑に入り組むふしぎな街で、それが街のエネルギーになってる。金融経済の拠点であり最先端の流行発信地であるとともに、大通りから一本裏道に入ると夕飯のにおいがしてくるような生活者の町なんですよね。そんな生活臭がする猥雑さこそがこの街の特徴であり、最大の魅力。
だから、あの奇怪なデザインの競技場が、広漠とした湾岸エリアに作られるならまだしも、洗練と雑多が上手く折り合った外苑エリアに作られることにはとても違和感があった。建設費の問題が原因とは言え、白紙に戻って本当に良かったと思う。
競技場がこれから長い間東京の遺産として生き続けることを思えば、今度こそ東京という街の本質をしっかりととらえている人に設計を依頼してほしい。こちらに関しても再度コンペが開催されるようだけれど、コンセプトとか小理屈は抜きにして、過不足のないデザインをお願いしたいと思うのです。奇を衒わずにね。

とか言いつつ、今回のオリンピック招致自体、某広告代理店のスキルによってプレゼンを勝ち抜いたわけですからね。きれいなパッケージにくるんでたけれど実は中身が空っぽだった、なんてことがないようにしていただきたい。やるからには、ぜひ心に残る大会にしてほしいと思います。


余談 

ちょっと前のこと。いかにもデザイン系の学生っぽいこじゃれた若者(♂・ニット帽&丸縁メガネ着用)が来店し、開口一番「この店のコンセプトはなんすか?」と聞いてきたんですよ。出し抜けに。
商品もきちんと見ずに、「コンセプトはなんすか?」って、失礼千万。いったいどんな神経してるんだろう。余計な思考や薄っぺらい知識に縛られず、心の眼をしっかり見開いて丁寧にモノに触れれば、疑問は氷解するはずなのに。
結局のところ、コンセプトなんて机上の空論で、それをどんなにいじっても禅問答のようなものでしかないんですよね。物事の本質には決してたどり着かないの。
これからますます、木を見て森を見ず的な人が世の中に増えてゆくんだろうなあ。妙な時代になったものです。



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