道草雑記帖

「神楽坂 暮らす。」店主の備忘録/日々のこと/器のこと

近松とCHIKAMATSU

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元禄期の浄瑠璃作者・近松門左衛門に触れる機会がなぜか多い今日この頃。

1月からはNHK木曜時代劇枠で2か月に渡って「ちかえもん」という作品を放送。このドラマ、スランプに陥っていた近松が、実際に起こった徳兵衛・お初心中事件に巻き込まれ、それを元にした傑作浄瑠璃曽根崎心中」を物するまでの数か月を描いたものでした。
しょぼい中年門左衛門に松尾スズキ。彼をこの心中事件に巻き込んでゆく狂言回し役・万吉に青木崇高。それを取り巻く人々として、富司純子岸部一徳北村有起哉高岡早紀らのクセモノのみなさんが登場。歌あり、妄想あり、の虚実ないまぜの型破りなエンターテインメントでした。
僕は大の時代劇ファンなので、『なんちゃって時代劇』みたいなものに対してはかなり辛辣に批判する方なのですが、この「ちかえもん」は本当に面白かった。絶えず笑いを取りながらも最後にホロリとさせる。脚本家・藤本有紀さんのテクニック(かなりトリッキー)に完全にやられてしまいました。
時代劇については、人気がないから止めてしまうのではなく、こうやってあらたな試みで新作を作っていくのも必要なことだと思いますね。とても喜ばしいことだと思いました。

そしてもう一作。先週は、近松にまつわる舞台を見てきました。
BUNKAMURAで上演されている「ETERNAL CHIKAMATSU」という作品で、こちらはもうひとつの名作「心中天網島(しんじゅうてんのあみしま)」がモチーフ。300年前の遊女・小春(中村七之助)と現代の娼婦・ハル(深津絵里)が時代を超えて心の交感をする物語で、デヴィッド・ルヴォー演出による新作です。
現代と江戸時代を往き来する荒唐無稽なお話ではあるけれど、小春を七之助さんが演じることで、そこには妙に艶めかしいリアリティーが現出。歌舞伎や浄瑠璃のエッセンスをただ取り入れるだけの『真似事』にせず、本物の歌舞伎役者を配したのは正解でしたね。それも七之助さんであるところがミソ。歌舞伎役者としての基礎を幼い頃からしっかりと身につけているだけではなく、父・勘三郎さんに従って外部のエンターテインメントとの共演を数多く経験していますからね。それが今回のお芝居でしっかり活きていました。
素晴らしい若手の女形は何人かいるけれど、僕の感覚では、七之助さんが頭ひとつリードしているように思えます。『型』がしっかりしている(=美しい)だけではなく、人の心を動かす『何か』を持っているんですよ。今回も、七之助さん演じる遊女の台詞にグッとくる場面が幾度もありました。彼のこういう卓越した技量は、やっぱり勘三郎さん譲りだなあと思います。
最後の方では、歌舞伎の演出技法『早変わり』が登場したりして、日本の演劇文化に対するルヴォーの造詣の深さが伝わってきたのもよかった。単に外国人の演出家を使って耳目を集めようというのではなく、さまざまな視点を持ったルヴォーが演出することには必然性があったのだと思いました。(←勘三郎さんとルヴォーは実際に交流があったそう)

実はこの二作には、共通していることがあります。
それは、どちらも心中を成立させず、生きる希望を描いているところ。どちらもラストまで見ると、心がふわっと解放されるようなカタルシスを得られる仕掛けになっています。近松の原作とは異なる結末ですが、これもアリなのではないでしょうか。
『人の業(ごう)』というのは不変だけれど、それにまつわる問題の解決法(価値観)は時代によって変わってゆくということなのかもしれませんね。そして、近松作品にはそういう時代の変化を受け入れても劣化しない力があるのだと思いました。


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