道草雑記帖

「神楽坂 暮らす。」店主の備忘録/日々のこと/器のこと

時代の交差点

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この街に引っ越して来てまだ6年の「新参者の器屋」が言うのも生意気ですが、神楽坂って、古くから続いてる器の店が多いんですよね。
かつては料亭などでの需要が多かったり、さらに山の手の住宅街を背後に控えているため、良い筋の消費者が多かったということがその理由ではないかと思います。

そんななか、街のタウン誌「かぐらむら」の最新号に気になる記事が。
飯田橋駅東口側から大久保通りの拡幅計画が徐々に進展してきて、筑土八幡あたりまでたどりついていたことは知っていましたが、ついにその工事が神楽坂上交差点にまで延びてくるそうなのです。
それに伴って、交差点のすぐ東にあった河合陶器店と山下漆器店は昨年末で店をたたんだとのこと。見慣れてきた神楽坂という街のカタチもこれから変わってゆくのですね。とても寂しい思いがします。

そして、「神楽坂らしさがなくなって残念」という気持ちはもちろん強いのですが、もう少し時間的な視野を拡げてみれば、それはある種、宿命なのかもしれないという気持ちも頭をもたげてきます。
江戸時代、神楽坂下は町人地でしたが、坂上は寺社と大名屋敷と幕府御家人たちの住居があるエリアでした。ところが、その街のカタチは、幕藩体制の崩壊とともにがらりと変わってしまった。この時の大きな変化が、現在の神楽坂の街を生み出すことになったのです。
ここ最近、「神楽坂散策」はちょっとしたブームになっていて、たまに江戸情緒を求めて来街する方々もいますが、それは美しき誤解であり、花街としての歴史は明治維新後のもの。近代日本の幕開けによって新たに生まれた階層(『東京市民』もしくは『山の手住民』)によって形作られたのが神楽坂という街だった、と言っていいでしょう。
現在起こっている街の変化というのは、近代東京が生んだ上質で粋な市民文化のおぼろげな残滓のようなものが、ここに来てついにその姿を消す、という決定打のようなものなのかもしれません。

そういう変化は確かに寂しいことなのだけれど、この世にあるものは、どんな存在であれ、遅かれ早かれこの世界から退場してゆく。
僕だって、やがていつかは店を仕舞う日が来るし、過去の住人になる日がやってくるわけです。その宿命から逃れることは決してできない。でも、時代というものが、変わってゆくことを前提として存在しているのであれば、せめてよい方向に変わってゆくように自分なりのベストを尽くしてゆきたいものだと思います。
器屋としての立場で言うなら、先に話したような神楽坂という街の地場(市民文化の力)に引き寄せられてきて、今ここで商いをしているような気がするのです。今般閉店した上記のお店からバトンを受け取ったつもりで、先人たちに敬意を払いつつ、やれる限り、美しく楽しいモノゴトを求めてゆきたいと思います。いま生きている時代の一市民として。

河合陶器店さん、山下漆器店さん、おつかれさまでした。


神楽坂 暮らす。 オフィシャルページ http://www.room-j.jp