道草雑記帖

「神楽坂 暮らす。」店主の備忘録/日々のこと/器のこと

古い九州

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4つの県を廻るよくばりなスケジュール組みをしてしまったため、自由時間があまり取れなかった今回の九州出張。
ただ、有田と波佐見での予定がかなり早く終了したので、その日の宿泊地・福岡に入る前に、予定していなかった太宰府に寄ることができました。太宰府と言えば、思い浮かぶのは天満宮。でも、僕が目指したのは、以前訪ねてすっかり虜になってしまった観世音寺という古刹です。

今から1300年以上前の7世紀中葉、白村江の戦いで唐に敗れた日本は、海上交通の要であった那の津(現・博多)よりさらに内陸の奥深く、現・太宰府市に外交や軍事を統括する行政機関・大宰府政庁を設置しました。大国・唐がいつ海を渡って報復に来るかわからなかったので、防御に優れた最前線の地に、危機に即応できる機関を置くことにしたのです。これが太宰府という町のはじまり。
大宰府政庁は「遠の朝廷(とおのみかど)」と呼ばれ、周辺は行政都市として整備されてゆきます。そんな西の都の信仰の中心となったのが、天智天皇の発願によって建立された観世音寺。かつては大伽藍を擁する大寺だったということですが、創建当初の建造物などは既に失われ、いまは小ぢんまりとした鄙のたたずまい。けれど、日本最古の梵鐘を持つ等、長い歴史を感じさせる威厳と風格を持ったお寺です。
枯れた雰囲気の本堂や境内も素敵なのですが、こちらのお寺の見どころは、平安から鎌倉にかけて作られた5メートルクラスの馬頭観音像や十一面観音像など、巨大仏の数々を擁する宝蔵。ここでは、手が触れられるくらいの場所(触れちゃいけないけど)で、重要文化財に指定されている貴重な仏像を拝むことができるのです。

前に訪問した時は集中豪雨で、宝蔵に観光客はおらず、巨大仏をひとり占め。そして、今回も強めの雨が降っていて、またもやひとり占め。
このあとは予定がなく、福岡市内のホテルにチェックインするだけだったので、急ぎ旅の途中、束の間やすらぎの時間を持つことができました。訪問した二回とも悪天候で、はじめは、「えーーー!」と思ったけれど、よく考えたら、誰にも邪魔されずいにしえの観音さまと対話する時間を与えてもらったのかなあ、という気もしてきます。

日本文明の元をはぐくんだ北部九州というのは、われわれ日本人のいにしえの姿を思い起こさせる独特な空気に満ちていますね。
僕のような東日本の血しか流れていない人間にとっては尚更、そういう空気が鮮烈に感じられるのかもしれません。

また行こう。


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