道草雑記帖

「神楽坂 暮らす。」店主の備忘録/日々のこと/器のこと

サブカルおじさん

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あけましておめでとうございます。
あっという間に正月七日。今朝は、無病息災を願って七草粥を作ってみました。
新年早々で、本来は今年の抱負を語るのがスジかもしれませんが、今日はちょっとした与太話をしてみたいと思います。

このところ、世の中は器ブームということになっているらしく、日本全国におしゃれな器の店が増殖中。旅で地方都市を回っても、東京でもあまり見かけないような垢抜けた店に出会って、おおっ!と感心したりすることがあります。
翻ってわが店について考えると、なんというか、おしゃれになりきれんなあ、という感じ。もちろん、良い作り手の良い作品を扱っているという強い自負はあるんですよ。でも、店というハコ(+僕という存在)については、もうひとつ垢抜けないなー、冴えないなー、洗練されてないなー、という自覚があるわけです。

この垢抜けなさって、自分の中で長きに渡ってじわじわ培養されてきた「サブカル感」が作用しているように思えてならないんですよね。
僕はこう見えて生粋の東京っ子。幼少期(70年代)、青春時代(80年代)と、バブル前のトーキョーのサブカルチャーに感化されて育って来たので、そういうものへの愛着がいまだ断ち切れていない、ということかもしれません。
都会の文化のありようって、大きく分けると二つの方向性があると思うんですよ。ひとつは、数あるエレメントの中から淘汰されて昇華する「洗練という名の優美性」。そしてもうひとつはその真逆、圧倒的な人口集中を背景にした「猥雑な多様性」。
サブカルというのはもちろん後者であり、東京ならではの多様性をエネルギーの源泉にしている。そして、この年になっても、そういうごちゃごちゃとした猥雑感にシンパシーを感じてしまう僕。そりゃあ、いつになっても垢抜けるわけないですよね。推して知るべし。
それでも、これから年を取ってゆく(枯れてゆく)と、自分の中のいくつかのチャンネルは淘汰されてゆくことになると思います。僕自身のここ数年の老化を鑑みるに(笑)、この猥雑な感性がこのまま還暦まで続くとは思えないし。そういう加齢による淘汰はもしかすると、いつか洗練という境地にたどり着くことがあるのかな、という想いもどこかにあります。でも、そこに行き着くまでは無理に自分の感覚を縛りつけずに、このままのスタンスで老化を受け入れて愉しんでみるのがよいかも、と、最近は余裕をかますようになってきました。サブカルおじさんとして生きてやる、浅薄なおしゃれ野郎にはならんぞ、というゆるやかな決意。

今年は、僕の分身である店という存在と僕自身との距離をもう少し縮めることが目標。
この流れでサラリと宣言することでもないですが、春先には店の名前を変えてみようと思っています。思いつきではなく、二年前に既に決めていたことなのだけれど、時宜を見定めようとするうちにずるずると二年も経ってしまった、というのが実情。
「暮らす。」という名前は長く使ってきて、愛着があるんですけどね。「名は体を表す」というでしょう?長い時間かけて僕自身と店名の間に生まれたそこはかとない乖離は、ジジイになって気力体力が落ちる前にさっさと埋めておきたいと思います。もう少ししたら、正式にホームページや書面などパブリックな方法でご案内をしてゆく予定です。

では、今年もどうぞよろしくお願いいたします。


■ 神楽坂 暮らす。 オフィシャルページ http://www.room-j.jp