道草雑記帖

「神楽坂 暮らす。」店主の備忘録/日々のこと/器のこと

大仏さん

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先週は、定休日を利用して、一泊二日で奈良に行ってきました。
いまはようやく撮り溜めた写真の整理を終え、思い出に浸っているところ。このブログでも、奈良の旅の話を断続的に書き残してゆこうと思っています。

旅好きな僕ではありますが、奈良にはなんとなく行きそびれていて、指折り数えてみれば、中学の修学旅行以来32年ぶりの再訪。こうなると、もはや初訪問と言ってよいくらいなので、今回はメジャーどころの寺社をしっかりと巡ってみることにしました。
奈良と言えば、やはり大仏さんだよなあと思い、二日目の朝には東大寺へ。
おぼこい雰囲気の修学旅行生とにぎやかな中国人観光客に紛れて、いざ大仏殿へ足を踏み入れると、やはり大仏さんの巨大さに圧倒されてしまいました。わかっていたはずなのにね。やっぱりでかい。
古代的な価値観を目の当たりにしたような気がしました。

現代社会(特にネットが発達した21世紀)は、「あえて」とか「逆に」というひねりを加えたコンセプト(もしくは含蓄)を持つものが喜ばれる時代。
でも、その含蓄というものにこだわり過ぎちゃうと、物事の本質を見逃してしまうんですよね。含蓄というのは、イコール物事の本質ではなく、あくまで本質という存在を包む要素に過ぎないわけですからね。
ひとひねりふたひねり、…とあらゆる物事にひねりを加えすぎしまい、自ら設定した含蓄に拘泥し過ぎて息苦しくなってしまっているのが、現代社会なのだとも言えそうです。

それにくらべて、「大きいことはいいことだ!」と言い切ってしまう大仏さんのこの潔さはどうでしょう。そこには「あえて」とか「逆に」などと言う、まわりくどい文脈はありません。
大仏造営は当時の国家プロジェクトで、最先端の技術と美意識をつぎ込んでいるので、「ただ大きいだけ」と言うわけではもちろんない。でも、大きいということ自体がその存在理由であることは確かです。
どこにもないような巨大な仏像を作って国家を護ってもらう、という聖武天皇の想い。「仏教への帰依の度合いを大きさで表現する」というひねりなしの考え方って、なんとも無邪気な気がしませんか?1300年後に生きる僕はそのことに心が熱くなります。現代に比べれば格段に不便が多かった時代だけれど、古代人のシンプルな心のありようにグッと心惹かれてしまうのです。
見上げるだけでご加護がいただけそうな巨大な仏さま。そこには現代人の心にも訴えかけてくる不思議な力があるものだなあと思いました。ひねりなし。行ってよかった。


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