道草雑記帖

「神楽坂 暮らす。」店主の備忘録/日々のこと/器のこと

文化とカルチャー

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旅という非日常は、普段考えないようなことをいろいろと考えさせてくれるもの。
今週は、お伊勢詣りをしたあとに京都に立ち寄ったのですが、そこでもやはりいろいろなことを考えました。

京都は『喫茶店文化』(『カフェカルチャー』ではなく)がしっかりと根を下ろしている町で、今も老舗の喫茶店が昔ながらの風情を残しながら営業しています。今回は河原町木屋町界隈をぶらぶら廻り、これまで行ったことがなかったソワレとフランソアに行ってきました。戦後間もない時期に創業したソワレは東郷青児ゆかりの店だし、昭和ヒトケタ創業のフランソアは建物自体が登録有形文化財に指定されるほどの名建築。寺社など江戸時代以前の文化財だけではなく、近代に至る各時代のよき文化のエッセンスが重層的に蓄積(保存)されているところに京都という町の奥深さを感じます。
これまで市内では、きっと数多の喫茶店が創業したことと思います。時代の流れとともにそのほとんどは淘汰されてしまったはずだけれど、それでも時代の流れにのまれずにしっかりと生き残る店もある。そういう様子を見ると、保守的で因習に縛られているようにも思える京都という町が、意外にも合理的な新陳代謝によって成り立っていることがわかります。これは、『伝統と格式を重んじる京都で、なぜ共産党が強いのか』という命題とも根っこが一緒の話なのかもしれません。

さて、翻って、わが東京は長い目でみたとき、どのように変化してゆくのでしょう。
うちの店の界隈について言うなら、『奥神楽坂』と命名される流行エリアに浮上したことで、これまでは見かけなかったような『いまどき』のカップル達がにわかに闊歩するようになりました。4年ちょっと前に引っ越してきた時分は都心らしからぬ静かな場所だったのにね。たった3年か4年で町のありようが変わってしまうバブル的な状況って、ちょっとこわいです、正直言って。
でもお店としては、そういう状況に対する耐性を持って、やるべきことを坦々とやってゆくしかないのでしょうね。もちろんメディアの恩恵にはありがたくあずかりますけどね。それでも、盛者必衰的な目先の流行に与しない矜持は必要なのかなあと思います。
明治の人は、西洋の概念『culture』をそのまま『カルチャー』として呑み込まず、わざわざ新しい漢語まで作って『文化』と訳しています。それと同じようなことが今の時代にも必要なのかもしれませんね。大きい波がやってきてもそのまま乗ってしまうのではなくて、一度頭を働かせて、新しい物事を咀嚼してみること。そうしないと、何かを根付かせることなんて到底できないのではないでしょうか。口で言うは易しですけどね、そうやって新しい波をいくつも咀嚼ながら乗り越えて行くことで、ソワレやフランソアみたいな存在が出来上がってゆくのかも、などと思ってしまいました。
京都の『喫茶店文化』(しつこいようだけれど、断じて『カフェカルチャー』ではない)には、これまで以上に深い興味を持ちました。京都に行く愉しみがまたひとつ増えたかな。


神楽坂 暮らす。 オフィシャルページ http://www.room-j.jp

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